スコリモフスキ監督「エッセンシャル・キリング」 [映画]

 異能の巨匠、ポーランドのイエジー・スコリモフスキ監督による最新作「エッセンシャル・キリング」が30日から、渋谷・シアター・イメージフォーラムで公開される。ある男の果てなき逃亡を通じて、同監督が描き出そうとしたのは、人間の「本質」だ。(恩田泰子)

ビンセント・ギャロ演じる主人公ムハンマドが逃げて逃げて逃げまくる映画だ。彼は、アフガニスタンで米軍兵士を殺害。ヨーロッパの秘密拘留施設に送られるが、護送車が崖から転落。雪深い森へ逃げ込み、手負いの獣のごとく、すさまじいサバイバルを繰り広げる。

 スコリモフスキは、1964年に「身分証明書」で長編監督デビュー。後に、共産主義下の祖国をいったん離れ、世界各地を流浪しながら映画を撮り続けてきた。画家、俳優などとしても活躍。90年代初頭以降、監督業から遠ざかっていたが、2008年に「アンナと過ごした4日間」を発表。17年ぶりに監督復帰し、日本でも熱い支持を集めた。

 本作は、10年のベネチア国際映画祭で、審査員特別賞と男優賞をダブル受賞。アイデアの一端になったのは、ポーランドの自宅近くにある軍滑走路をめぐるうわさ。CIAが囚人を連れてきて、どこかへ運んでいるらしい、と聞いた。ただ、当初はそれを映画にしようと思わなかった。「昔、政治的な映画を作ったことで、自分の人生は変わってしまった。そういう題材は避けていた」

 ところが、ある冬の夜、運転していた車が凍結路面でスリップし、崖から転落しそうになった。事故のショックと共に「雷に打たれたように」ストーリーがひらめいた。滑走路に連れてこられた囚人が事故に遭って逃げ出したら――。「野生の動物は他者を殺さなければ生きていけない。人間も追いつめられればそのようになるのではないか。そもそも人間ってそんなものじゃないか、と」。ギャロを起用したのも、「彼の身のこなしに動物的資質とでもいうべきものを感じた」ことが大きかったという。

 主人公にはせりふがない。国籍も立場も説明されない。描きたかったのは「いつでも、どこでも、誰にでも起こり得る物語」だからだ。

 冒頭は、ハリウッドのアクション映画のようなタッチだが、映画の進行と共に様相は一変する。「徐々に登場人物が減り、観客は主人公と共に取り残される。決して好感が持てるヒーローではないけれど、知らず知らずのうちに引き込まれ、視点を共有してしまうはず。スポーツで強豪と弱小チームが戦った時、後者を応援してしまうように」

 今は次作の構想は「ない」という。「まずは絵を描きたい。そうしたら何かひらめくかも。永遠にひらめかず、映画を撮らないかもしれないけれど。ふふ」

(2011年7月22日 読売新聞)

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